科学だけでは決められないこと
上司の思考がだいたいわかったりすると、
「これやったら、色々と言われるかな〜」とか
「こうやった方が、理解得られるかな〜」とか、ある程度の想像がつくことも増えますよね。
想像した通りにやると、だいたいは反応を間違えないんだけど...たまに間違えます😨
そうすると、上司のせいにしてしまいます。
「え??私の分析では、こうやっても怒られないはずなんだけど??」
「え??こうやった方が、あなたにとってはいいんじゃないの??」って。
何が正しいか正しくないかなんて、考え方によって変わるし、
絶対的な正誤が決まっていることなんて限られているから、だいたいの判断には、上司の考えを反映するようにしています。
絶対、ここは譲れない!!てこともあるけれども。
コロナ 禍では、さらに頭を悩ませました
人によって、こだわる部分は様々で
「水際対策をしっかりして、風邪を引いている児童は校舎に入れないように徹底する。」
「無症状の子が多い中で、徹底なんて無理。アレルギー性鼻炎のある児童はどうするの?」
「プリント類はウイルスがついているかもしれないから回収しない。」
「机にアクリル板を置く。」
「机にアクリル板を置いたら、目の健康に良くないのでは?それ以上の効果があるの?」
とか。
その中で
「養護教諭として、保健の立場で、ご意見をお願いします。」
「科学的根拠を持った判断にしましょう。」
と言われることが多かったです。管理職と相談してコロナ対策を決めても、必ず職員から文句の1つや2つは出る。
正直、科学的根拠のみでは対策は語れないと思います。
話し合うべき、決めるべきは
どの程度、徹底すべきか。
学校に来ている時点で、ノーリスクなんてない。
どこを目指せばよいのか、様子を伺うのが、苦しかった。
管理職も悩んでいたと思います。
尾身会長も話していた。
実は、コロナ対策は「科学だけでは決められないこと」がたくさんあります。
たとえば、コロナとの戦いが長期戦になる中で、「どんな社会で生きていきたいか?」ということなどです。
これは皆さんと話し合って決めることだと思っています。
一緒に話し合って、皆さんの声を政府に届けたいです。尾身茂 インスタグラム
何を目指すのかを職員で話し合えるのが理想だと思います。
文科省のマニュアルには方向性や目標について書いてあるけど、その解釈だとか、具体的な方向性だとかを各学校で確認し共通認識を持たないと。