母原病という病い
母原病って、すごい名前。「母が原因の病」って、悲しくひどい名前ですよね。
学校現場ではあまり聞かないですが、稀に聞きます。
「この子が登校を渋っているのは、母親との関係がうまくいっていないのではないか?」
これまで、いくつかの研修会で聞いた「母原病」について紹介します。
ちなみに、ここに久徳さんの著書『母原病―母親が原因でふえる子どもの異常』の一部を引用してありますが、チラ見をしてじっくり読んだことはありません。ぜひじっくり読んでみたいと思っています。
母原病はどこから始まったのか?
1960年代の日本では、「三歳児神話」がひろがりました。
「子どもは三歳までは家庭において母親の手で育てないと、子どものその後の成長に悪影響を及ぼす」という考えです。保育園に預けるなんて、トンデモナイ!という声が聞こえてきそうな考え方です。
この頃の日本社会を見ると、家にいた女性が社会進出を果たすようになってきた頃です。そういった変化を危惧する声が出てくるのも「あるある」かなぁと思います。
1979年に久徳の著書「母原病―母親が原因でふえる子どもの異常」サンマーク文庫が日本でベストセラーになリました。久徳さんは、母原病について以下のように記しています。
ぜんそくや胃潰瘍の子、熱を出しやすい子などの症状と、家庭内暴力ややる気のない子などの症状とは、表面的に見た現象は随分異なります。しかし病根は同じなのです。いずれも親の育て方の誤りに原因があって、子どもの心身形成・人間形成にひずみができ、その結果、子どもたちに病気や異常があらわれたのものです。育児の中心的役割を果たすのはやはり母親なので「母親が原因の病気」という意味で、私たちは「母原病」といっています。
一方で、責任は母親だけではないと言うことも話しています。
このようにいうと、お母さんの責任だけが問われるかのように思われるかもしれません。ところがそのお母さんにしても、文明の進歩や教育、家庭のあり方が変わったことの影響を強く受けており、ある意味ではその犠牲者だともいえるわけです。母原病の病巣は、お母さんよりもっと大きなもののなかにあるのです。
つまり、
世の中が便利になる → 親の育児を行う脳の調子が乱れてくる → 母原病の子供が増える というメカニズムです。
母原病の犠牲者は母親
前述でも書いた通り、『母原病―母親が原因でふえる子どもの異常』はまだじっくりとは読んでません。なので、久徳さんがどのような想いで「母原病」を紹介したのかはわからないのですが、実際生活してみて周りで聞く「母原病」という言葉はとても刺のある言葉です。
それで傷つくのは「母親」です。例えば、「登校を渋っているのは、母親のせいだ。母親の愛情が足りなかったからだ。」など。
子どもの問題の原因は母性に欠ける母親であると聞いたら、多くの母親が子どもや育児について「自分が悪いのだ」と自分を責めるかと思います。
人から聞いた話だと、小児科や心療内科で子供を診てもらった時に「母親が原因」と医者から言われた人もいると聞きました。
でも、「母原病」は説であって、科学的根拠はないのです。
科学的根拠のない説で、責められる人が出ていいのでしょうか。
そもそも、「母原病」を唱えることで何か解決することがあるのでしょうか。
確かに、虐待を受けていた子どもに悪影響が出ることはもちろんです。
精神に苦痛を伴う行き過ぎた教育も悪影響が出るかと思います。
ただ、
「お子さんとしっかりコミュニケーションを図っていますか?」
と聞かれて
「はい、図ってます。」
と自信を持って答えられる方ってどのくらいいるのでしょうか。
基本は、これでいいのか迷いながら過ごされている方が多いのではないかと思います。
教育現場で働いていて、登校渋りなどの悩みを相談してくださるお母さんがいます。自分の育て方や接し方が悪かったのか、どうしたら良いのか真剣にお子さんと向き合っている方が多いです。
こういったお母さんが「母原病」を突きつけられ、落ち込んでしまう。子どもが回復する上では親の協力は不可欠です。「母原病」と言う言葉は、親から、子どもを支え育てる力を奪ってしまうことにつながることだってあります。
子供は間違いなく親の影響を受けています。だから、親の影響がないとは言えませんが、直接的な原因とはいえないと思います。
私が尊敬する、ある精神科医の先生がおっしゃっていました。
「親が原因だとは言えない。ただ、母親は子どもが回復する上でのキーパーソンである。科学的根拠のない情報をもとに責めることは決してしてはいけない」
確かにそうだと思う。確かに。
※あくまで、ネットや世間で聞く「母原病」について書いています。